亜矢のインタビュー その1

亜矢のインタビュー その1

(※2002年、gooの特設サイトに掲載されていたインタビューです)

NIRVANAに影響を受けたという本格派ロックアーティスト、亜矢。
破格の才能を感じさせるそのサウンドは他の女性アーティストとは一線を画すものとなっている。gooでは、4月のデビューアルバム発売に先駆け独占インタビューを実施。
憧れであったシアトルのアーティスト達(パールジャム、元ニルヴァーナのメンバーら)
との共演はどのように実現していったのか、自らの言葉で語ってくれた。


海外有名アーティストとのレコーディング 

ーーアダム・キャスパーに亜矢さんのデモが手渡ったことから、うまい具合に転がるように凄いメンツがレコーディングに参加して行くわけですが、この素晴らしい制作環境というのは、ある種のマジックと言えますよね?



亜矢 そうですね。まさか…海外のプロデューサーが自分の音を耳にするってこと自体、私には思ってもいなかったことでした。最初はダメ元って感じで、(デビュー前に)自分の好きなバンドのプロデューサーの方とか、インターネットで調べていただいた中で、まあ、数名候補の方がいて。その中にもアダム・キャスパーの名前はありまして。でもホント、私の知らない間にデモテープが海外に渡り、向こうから連絡が来た時は、「あ、(私は)騙されている」っていう(笑)…そういう感じでしたね。


――「そんなの嘘に決まってる!」と?

亜矢 そう、それぐらい信じられなかったから。


――とりあえずシングル(昨年4月にリリースした『HANDS』)をアダム・キャスパーのプロデュースで作ろうというところから始まり、それがアルバムまで一緒に作ることになった。しかも亜矢さんに最も影響を与えたであろうシアトル産のバンド――パール・ジャム、サウンドガーデン、ニルヴァーナのメンバー達が一気に参加するわけですが、その展開が決まって行く要素と心境を是非言葉にして欲しいんですが? 


亜矢 あのね…偶然と偶然が重なった必然というか。ホント、ツイてるとか運が良かったとかっていうんじゃなくて、ホントに僅かな時間のタイミングとかもありまして……例えば、(ニルヴァーナの)クリス・ノヴォセリックの参加が決まったのは、ギターを弾いてくれた(サウンドガーデンの)キム(・セイル)のレコメンデーション(=推薦)があったんですけど、彼(クリス)はまだ私の音を聴いたことがなくって。で、たまたまシアトルでのレコーディングの合間に、ご飯を食べに行ってスタジオに帰る時、(体の大きいクリスが)頭がぶつかりそうな感じて乗っているBMWがクラクションを鳴らしながら過ぎて行きまして(笑)。 


――亜矢さん、すぐにクリス・ノヴォセリックだとわかりましたか(笑)?

亜矢 (笑)勿論ですよ! で、その数日後に、ご飯を食べに行ったレストランにたまたまクリスが入って来て、暫くして彼がお酒を持ってこっちにやって来たんですよ。で、アダムが、「亜矢のレコーディングをやっているんだ。君にベースを弾いて欲しいんだよ」って伝えたら、私の話しを(前に)チラッと聞いていたらしく、「OK!」って感じだったんですよ(笑)。凄く忙しい人なんだけど、飛行機の免許を取りにシアトルにたまたま来ていたというタイミングもあって出会えたっていう感じだったんですけど、キムからレコメンデーションをもらっているってことで興味を持ってくれてたと。で、実際スタジオに来てくれた時に音を聴いていただいたら…「俺、この曲好きだよ」って(笑)。


――それは、何ていう曲ですか?


亜矢 それはアルバムの中に入っている、『King of Pain』です。この曲はシアトルでレコーディングする10日ぐらい前に、しかもシアトルの皆んなを意識した音色で(書いた曲)…その曲が素晴らしいメンツで仕上げられた(ギターは亜矢とキム・セイル。ベースがクリス・ノヴォセリック。ドラムはパール・ジャムのマット・キャメロン)…。


――(以前のインタビューで告白していましたが、)あなたは、『ネヴァーマインド』を万引きしてるわけじゃないですか(笑)? ニルヴァーナと言えば踏み絵のような存在で。一緒に演るという実感というのはどんなものでしたか?

亜矢 「うわぁ……やったぁ! 嬉しい!」って感じではあるけれども…。でまあ、ご飯食べてて、すぐここに(クリスが)いる……何か、不思議な感じでしたね。で、「私はニルヴァーナに影響を受けて人生が変わってしまった」とアダム・キャスパーに言いましたら、彼も、「俺もニルヴァーナで人生変わったよ」って。そしたら(当の)クリスは、「俺もニルヴァーナに人生を変えられた。うーん、凄いバンドだ」って笑ってましたけど(笑)でも、彼の口からカート(・コバーン)の思い出話しは一切聞けなかった…。 


――なるほど。でも、近くにクリスが居るのは、失神しそうな出来事ですよね?

亜矢 いや、それが不思議とあの(メンツの)中にいると、そういう普通じゃないことが普通に起こってしまう…勿論、凄い人達ですよね? でも、その凄い人っていうのを彼等が私に感じさせない…。


――メジャーであれ、まだデビュー前であれ、気が合えばミュージシャン同士は関係ないんですかね? 

亜矢 うん、そうですね。ドラムをやってくれたマット・キャメロンと最後にお別れする時、私の未熟な英語で、「ごめん。もうちょっと英語が上手く喋れたら…色んな音楽のこととか…あなたともっと話したかった」と言ったら、「亜矢、俺達はもう君の音楽を通じて充分理解し合っているんだよ」と言ってくれて。それで(暫くは)お別れだと思ったんですよ。もう、ホント、「元気で…」という感じだったんですけど、次の日もマットは朝からスタジオに来て本を読んでいるんですよ(笑)…マットは1日に3曲も録り終えちゃう人で、2日で(予定していた)全曲を叩き終わっちゃったんですね。なのに、次の日も、その次の日も…残りの1週間、毎日のように遊びに来てくれたんです(笑)。

――ミュージシャン同士のリスペクトとは何の気負いもないものなんですね?うんうん、素晴らしい(笑)。


――(以前語っていたように)15歳で家を出て放浪生活の果てに、100円もないような状態で部屋でずっとギターを弾いてたわけじゃないですか? そんな人がシアトルで、そんなメンツと一緒にレコーディングするというところに辿り着いた――「音楽をやっていて良かった」と思えた瞬間だったでしょう?

亜矢 …ああ、ありましたね。「音楽をやって来た……間違いじゃなかったんだ」って。今まで、曲を作って誉められることもなかった…そんな時もありましたから。ホント、私は正解だったんだなっていうね。 


――そのメンツは、お金を積んでも手に入れられるものじゃない。増して、シアトルのバンドやミュージシャンでも考えられない。勿論、日本人では初…マジック以上の何かがありますね?



亜矢  ああ、そうですよね……何なんでしょうね? 凄く嬉しいのは、今でも彼等からEメールが届いたり電話が来たり…「調子はどうだい? 歌の方はどんな感じだい?」って凄く気にして下さって。年が明けてアダムとクリスや皆んなが集まった時、「ずっと君の話を皆んなでしてたんだよ。早く、またシアトルに戻って来て欲しい。だから、頑張ってロックしてくれ!」って。そういうメールもつい最近いただいたりして。何かね、曲を凄く気に入ってもらえた――音楽で出会えたけれども、それで終わらない関係になれたことが嬉しかった。


――アダム・キャスパーは亜矢さんの音楽に対して、具体的にどのような感情を抱いていたんでしょうね?

亜矢 曲によってはレコーディング中に、PJハーヴェイみたいだとか、いろいろ言って下さったんですけど、最終的に出来上がったものは、「”サウンズ・ライク・アヤ“=亜矢の音だ」っていう風に言って下さいましたね。 



ニューシングルについて 

ーー今回シングルになる『選択の朝』。これはデビュー・シングルにしようと決意していた曲だったけれど、レコーディング時期に風邪をひいてしまい唄うことが出来ず制作が見送られた曲 
いわくつきの曲ですが、これを書き上げた時の話を聞きたいんですが?

亜矢 うん…「あ、出来た」って感じで(笑)。1stシングルの『HANDS』が一番最初に出来た曲で、その次に出来上がった曲なんですが、「曲を作りたいな…」と、おもちゃの電子ピアノで…。


――前回でも触れていた、19800円のヤツですね(笑)?

亜矢 (笑)はい、そうです。それで自分の心地良い単音を捜し当て、コードを進行を作ったんですよ。で、それに一発でメロディが乗っかったんですよ。


――アルバムに収められているのが英語詞で、シングルが日本語詞ですけど、その時既に歌詞があったんですか? 

亜矢 (いえ(ないです)…でも、最初に書いた時にサビの、「♪~My mama and daddy~」ってところは同時に出て来て。で、その後に一気に詞も書いて、そのままピアノと歌でデモを録音したんです。 


――最初にそのフレーズが出たけど、どんな歌詞世界が書けるかはわからなかったわけじゃないですか? 

亜矢 でも…無意識の中で、自分はこの曲を作りたいというのがあったと思う。
これは歌詞にも関係してくるんですけど、メロディはサビから書いて、次にAメロとBメロが何の苦労もなく…まあ、サビが滲み出るようなものというか…すぐに浮かんだんですよ。で、一番最初にこれを弟に聴かせたんです。 
そしたら、「これをお前が本当に作っているんだったら、俺は尊敬してやる」って言われたんですけね(笑)…ホント、1日か2日もかからずに出来た曲ですよ。 


――聴き手によって、いろんな受け取れ方の出来る複雑な歌詞で、亜矢さんの中でも自分とダブらせることが多いわけで。でね、この曲の中で最も言いたいと思える部分はどこですか? 

亜矢 私は甘えん坊でしたから……サビの「♪~to be strong=強くなれ」って言葉……その思いもあって、お父さんとお母さんは私を見放したっていうか。私は、何を失っても自分の為に強くなりたかった………何を失っても、結局残されているのは自分でしたから。自分の為に、自分の思った通りの人生を生きてみたい…生きたいっていう……。


――これをシングルでリリースしたいと思うのは、自分の思い立ちとか生活環境が関係していて。親と子の関係だとか、例えば”命“とか”死“とかっていうのものが、亜矢さんがもの凄くリアルに感じる人であるというのがあって。つまり、『選択の朝』は分身的な意識が強いんじゃないですか? 

亜矢 うん、そうですね……“分身”ですか…確かにそういうのはありますけど、でもやっぱり純粋にこのメロディや歌が好きっていう。だから、思い入れも凄く強いってだけなんですけどね(笑)。 


――例えば、ヘヴィで答えのないような歌詞ゆえに、今回のようにインタビューで聞かれることも多いとは思いますけれど、そこで答え説明することが曲の邪魔になったりはしませんか? 

亜矢 いや、「曲がいいね」と言われることほど嬉しいことはないですから。まあ、人それぞれの捉え方があるし、「うわぁー!」と言う人もいるし、「こんな歌を作って…まさか?」とか、いろいろと言われるでしょうけど、私は(どう言われようと)まったく構いません。『選択の朝』という好きな曲を、私は自信を持って世にどんどん出して行きたいと思っていますよ(笑)。 


interview&text:棚橋 和博