亜矢のインタビュー その3

(※2002年、OCN/追いかけネットに掲載されていた記事です)

3rdシングルの収録を終えた「亜矢」独占インタビュー <2/11>
Part1:常に、物事を悲観的に考える方だと思います。


亜矢のインタビュー その4

あまりにもリアルで悲痛。しかし、それは決して不快なものでなく、現実を現実として受け止めさせるような、心の奥底にまで浸透してゆく。亜矢は、そんな歌をアウトプットするミュージシャンである。3rdシングル『選択の朝』では、思春期の女の子が子供を宿し、その尊い命を断ち切るか否かを選択する朝の苦悩と葛藤を描いている。物静かなイントロから、エモーショナルな展開で聴く者をグイグイと引き寄せる圧倒的な表現力は、まさに白眉の出来なのだ。



【亜矢プロフィール】
北海道出身。中学時代からハードロックやパンクを聴きあさり、自らもバンド活動をスタート。高校を1年でドロップアウトし、家を飛び出し北海道を放浪した後に上京。その中で作っていたデモテープが、シアトルにまで届き、かつて彼女が影響受けていたシアトルの世界的ミュージシャンとのセッションにまで発展し、2001年4月『Hands』でデビュー。4月24日には、制作期間1年を費やした1stアルバムをドロップする。アルバムには、彼女が決定的な衝撃を受けたニルヴァーナのメンバーも参加する!

-:3rdシングルとなる『選択の朝』を聞かせていただきましたが、非常に重い感触の曲ですね。でも、その重さが良かったです。あとは中島みゆきの『あぶな坂』をカバーしたり、一緒にコラボレイトしているのがFoo Fighters 、Pearl Jam、Aerosmithなどのアルバム制作に携わってきたアダム・キャスパー(プロデュース)や、Pearl Jamのマット・キャメロンにSoundgardenのキム・セイルまで参加するというゴージャスなメンツ。そこにも驚かされました。

亜矢: 大部分はシアトルでレコーディングしたんですけど、私の大好きなミュージシャンの参加で理想の音にたどりついたという気持ちが大きいですね。前のシングルとも同じメンバーが参加してて、アルバムでも協力していただいてるんですけど、「次はいつ来るんだ」って、早くも待ってもらってます(笑)。世界中に名を知られているアーティストと、同じスタジオで同じ目線で一つの楽曲を一緒に作るというのは…。でも、緊張感を感じさせないんですよ。いちアーティストとして接していただいたことで、自分の曲、というものを出せたと思います。


-:そもそも、彼らと一緒に演るようになった経緯は?

亜矢:3年前からガーッと作曲してデモテープを作り始めてたんですが、その2年後にデモを収めたカセットテープが、回りまわっていろんなプロデューサーさんやディレクターさんの耳に届いたみたいなんですよ。その一本がいまのBMGファンハウスのA&Rさんに行ったんですね。その方はたまたまFoo Fightersのマネージャーさんとも仕事をしていたので、そこで私のテープがアダム・キャスパーの手に渡り、気に入っていただいて。当時、彼が予定していた他のプロジェクトを2つキャンセルして私をプロデュースしていただけることになったんです。で、アダムさんが「亜矢の曲に合うのはこのメンツだ」って集まったのが、このようなスゴい方々で。ホント、夢にも見ていたわけでもなく、お願いしたわけでもなかったんで。シアトルに行く数日前まで、誰と演るってことを知らされてなかったんですよ。


-:運命というのはわからないものだなぁ。ところで、曲はどういうときに生まれるものですか?

亜矢:もう、何をしててもメロディが浮かびますね。例えばトイレに行ってる最中だったり(笑)、もう寝ようかなと思ってるときにパッとメロディが浮かんだり。夢の中でも曲を作ったりします。


-:夢の中までとは(笑)。

亜矢:で、すぐにマルチテープレコーダーと向き合いましてギターの弾き語りで残しておいて、アレンジをあとで考えていきますね。

亜矢 (AYA)

-:一方、詞はどうやって生まれますか?

亜矢:やはり、メロディに合う世界観の詞を書いてるんですが、詞はとても苦手なんですよ。昔から、人に言葉で物事を上手く伝えられなかったんで、だから絵を書いたり音にしてみたりしてきたわけですけど。でも詞だけは苦手なんで、作詞は極力避けたいです(笑)。


-:そんな中、『選択の朝』というヘヴィな内容の詞が、メロディに導かれて生まれてきたわけですか。

亜矢:まず、当時私が持っていたオモチャのようなキーボードで曲を作りたいという感情に駆られまして、単音でコードをなぞっていったんですね。そこに一発で乗っかったメロディが、この曲のサビなんです。それと同時に自然に出てきたのが「Mama,Daddy」という言葉なんです。私がいままで作ってきた曲はレコーディングするために作った曲でもなく、人に聴かせて“コレを売ろう!!”という気持ちで作ったものでもなく、自然と出てきてしまうんです。どんな内容であっても、きっと。


-:歌詞の内容は堕胎を真っ先に連想させるかもしれないですけど、実はコレ、亜矢さんの中の心の葛藤みたいなものを、堕胎みたいなカタチで変換されて出てきたんじゃないかな? とか裏読みもできるんですが。例えば、結末が見えない漠然とした不安感とか。

亜矢:この曲、ものすごく初期に作った曲なんですけど、改めて詞を読み直してみると、“いますごく怖いの”という、結末が見えない感じが出てますよね。


-:物事を考えるときって、楽観的に考える方ですか? それとも、悲観的?

亜矢:常に悲観的。マイナス方面で(笑)。常に最悪な事態まで物事を考えてる。


-:悲観的に物事を考えて区と、やっぱり煮詰まったり苦しかったりするわけじゃないですか。どこかでストレスを発散しなければならない。その作業が、こうやって曲を作ったり歌ったりすることですかね?


亜矢:あとお酒です(笑)。とにかくめちゃくちゃ飲みますんで。

-:あー、なるほどね(笑)。


3rdシングルの収録を終えた「亜矢」独占インタビュー <2/18>

Part2:偶然と必然の交錯。夢か現実か、自分でも混乱するときも…。

-:あと、今回のシングルで驚いたのが、先ほどもいいましたが中島みゆきのカバー。ちょっと、意表を突くチョイスですよね。悲観主義というところでは納得しますが。

亜矢:うふふふふ。スタッフの方に「中島みゆき、カバーしてみない?」って言われて、一発で演ります!!と決めたんです。というのも、中学の頃だったか、部屋に閉じこもっていた時期があったんですよ。誰にも会いたくない、みたいな。


-:ひきこもりの元祖みたいな。

亜矢:そうそう(笑)。そのときにお母さんがいっぱい音楽を聴かせようと思ってどこからか見つけてきたなかに、中島みゆきさんのアルバムがあって、一番最初に聴いたのが『あぶな坂』だったという。詞の世界観と、アコースティックだけなのに、ものすごく怖い印象を植え付けられたんですね。で、布団にくるまって何度も聴いてたんです。そのあとは中島みゆきさんから離れてたわけですけど、いまになってそういうお話が来たという。


-:亜矢さんの場合、周りの偶然な出会いというかホシの巡りみたいなものが多いのがおもしろいですね。シアトルの方々と一緒に演るのもしかり。

亜矢:確かに…。シアトルに行ってレコーディングして「またシアトルに来てね」って、かつて憧れたミュージシャンにハグされてるとき、あぁ私の人生ってどうなってるんだろう? って不思議な感覚になりますよね。で、東京に帰ってきて玄関を開けると横切るゴキブリが…って、皮肉なぐらいこれも現実で(笑)。いま思うと、シアトルにいたことが夢のようにも思えるし、これからも継続していく現実のような気もしますし。この気持ちに値する言葉は、まだ探せません。


-:一気に夢を掴むことになったわけですが、そこまでの歩みを聞かせてください。15で家出しちゃったのはなぜなんですか?

亜矢:何もかも嫌になってた時期に、一人で家を出る状況になっちゃったんですよ。とにかく学校にも家にも自分の居場所がないような感じで。そのときに唯一支えてくれたのがグランジミュージックとギターだったんです。


-:ギターとの出会いは?

亜矢:小学校3年のときかな? 街にベンチャーズが来たんですよ。初めて聴くおっきなスピーカーからの音、初めて観る外人の演奏する様子にビックリしまして。で、家に帰ってお母さんに「ギター弾きたいな」っていったら、親戚中探してギターを借りてきてくれたんです。最初にカバーしたのが…セックス・ピストルズの『アナーキー・イン・ザ・UK』(笑)。で、高校を中退して家を出るときに「高校を辞める代わりに、ギターは一生止めない」という約束で、お母さんがギターを買ってくれたんです。それが初めての自分のギターで、寝ても覚めても演り続けてた。半年間行った高校で見つけたメンバーと一緒に演ってたんですけど、長くは続かなかったですね。当時演ってたのはピストルズとかハードコアで、ニルヴァーナは恐れ多くてできなかったですね。神様的存在に思えてしまったんで。そのバンドのあと、北海道の街をいろいろ回って、東京に行こうかなと決意して。


-:東京に出て行くというのは、やはりものすごく度胸が必要だったんじゃないでしょうか。

亜矢:友達もいませんからね。ほとんど何も持たず上京して。で、知り合いの方の紹介でボーカルのオーディションのお話をいただいたんですよ。それまではギター担当だったし乗り気じゃなかったんですけど、会うぐらいはいいかなって軽い気持ちでオーディションに行ってみたら、なぜか受かってしまいまして。わけのわからぬままデビューする流れになって、ズルズルと流されていたら、リーダーの方が他界されまして。デビューがゼロになっちゃったんですね。そこで、北海道に戻ろうかほかの街に行こうか、それとも東京に残って音楽を続けるかで非常に迷った時期がありまして。そのとき、曲を作ろうと決めて2年間、曲を作ることだけに費やしたんです。そこで一番最初にできた曲がデビュー・シングルの『Hands』で、2番目にできたのが今回の『選択の朝』なんです。だから、すごく思い入れがあるんですよね。すべてゼロから生んだ曲なので。


-:そういう意味では、作った当初と現在では、自分の中では違う感触の曲という風になってますかね?

亜矢:リハでは飽きたから演りたくないというのはちょっとありますけど(笑)。自分の中ではすごく古い曲ですし、いまとにかく次々に曲が生まれてるんで。でも、思い入れの深い大切な曲です。


-:だからこそ、4月に出るアルバムも含めガンガン曲を発表して在庫放出したいと。

亜矢:ハイ(笑)。今回のアルバムは、曲を作り始めてから現在までの私の総決算になると思います。


(取材、文:金井覚構成:バナナヤー)